現在使われている暦は,太陽の運動を基につくられた太陽暦で,世界中で広く使われている.
この太陽暦は1582年,ローマ教皇グレゴリオ13世によって制定された.それまで使われていた太陽暦はユリウス暦で,4年に1回,閏年を入れて1年の長さは平均的に365.25日であった.しかし,1太陽年は365.2422日であり,1582年ごろには10日ほどのずれが出てきたので,新しい暦を考えなければならなくなっていた.
グレゴリオ13世の名を冠したグレゴリオ暦は,1年の長さを平年は365日,閏年は366日とし,閏年の法則を,「閏年を4年に1回挿入する.しかし,その閏年を400年に3回ぬく.」として,より1太陽年の値に近づけた.具体的には,西暦の値を4で割って,割り切れる年を閏年とする.但し,西暦が,100で割り切れる年は,さらに400で割って,割り切れる年を閏年,割り切れない年を平年にする.
日本では,明治6年(1873)1月1日から太陽暦が施行された.明治5年11月9日の太政官布告によって,それまで使われていた天保暦(天保十五年(1844,弘化元年)施行)が廃止され,太陽暦が使われることになって,現在にいたっている.
太陽暦に対して,旧暦をさす天保暦は太陰太陽暦で,月の運行を基に,太陽運行による二十四節気を組み合わせた暦で,1か月の長さは,大の月が30日,小の月が29日であった.1朔望月は約29.5日で,12か月後でも,1太陽年に約11日短いので,平均的に1太陽年に合わせるためには,約19年に7回,閏月として1か月多く入れ13か月としなければならない.二十四節気には節気と中気があるが,閏月は中気を含まない月においた.
明治6年の1月1日は,旧暦による明治5年の12月3日で改暦布告の後,1か月もなく新年になった.暦の掲載の形式も定まっていず,祝祭日も仮で,確定した時には,追って知らせるという布告がだされ(5年11月24日),仮の祝祭日が上段に,下段には,太陰暦が記載されて版行された.祝祭日については,翌6年5月に決められ布告された.6年3月になって,頒暦規則がつくられ,その中で,太陰暦は明治7年暦から掲載しないことと定められていたが,10月には,掲載するよう変更されている.この事は急な改暦であったために,太陽暦が便利であるにもかかわらず,すぐには国民に浸透しなかった事を示している.その後,旧暦は明治42年まで併記されることになる.
明治43年暦からは,旧暦が完全に廃止され,暦に掲載されなくなった.それ以後,日本では太陽暦だけが使われている.
暦象年表1990より加筆、修正